NO NUKES 2012が原発無関心層に伝えた「自分で考える」という関心


[メディアで紹介の無かった、当サイトオリジナル記事]

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2012年7月7日〜8日の2日間、千葉県幕張メッセにて、NO NUKES(脱原発)をテーマとした音楽フェス、NO NUKES 2012が開催された。このイベントはインターネットのライブ放送メディアUstream(ユーストリーム)で同時生中継が行われ、インターネット越しにイベントに参加した人数は、延べ55万人にも及んだ。

このイベントでは、単にアーチストが原発への思いを曲の間に伝えるというデモ系フェスとは異なり、アーチストのライブの合間の時間には京都大学の小出裕章 原子炉実験所助教や駐スイス大使館などを務めた村田光平氏などが、日本の原子力発電において隠されてきた事実などを映像でイベント参加者に訴えかけた。

また、終盤では東日本大震災、そして原発事故の被災地の中心地である、福島県双葉郡双葉町の井戸川町長を交えた被災地の現状と国や東京電力の補償に問題があること、原発を運営してきた町として今回の事故をどう振り返るか?などについてのライブトークが行われ、インターネットのライブ中継の視聴者、幕張メッセの来場者は普段メディアでは取り扱われない問題について熱心に耳を傾けた。

インターネット中継メイン司会のデジタルステージ(株)代表の平野氏が難しい原発問題について、できるだけ固く重くなく、分かりやすい視点を心がけたことも功を奏したかもしれない。

NO NUKES 2012は原発無関心層に自分で考えるきっかけを与えたか?

このNO NUKESというイベントが面白いところは、音楽のライブと現在の原発問題のニュースにガッチリと踏み込んだ”お固い話”とがセットになっていたということであった。

インターネット上の生放送や幕張メッセへ来場した人々の関心の中心事は、ほぼ間違いなく自分の好きなアーチストのライブの曲が聞けることであっただろう。テーマが脱原発であったため、多少、心の中で原発論を語る、聞くことについて興味は湧いていたかもしれないが、もし、このイベントが音楽フェスではなく、単なる半原発集会であれば、おそらくこれだけの人は集まらなかったのでは無いだろうか?

つまり、普段原発に無関心な層(来場者自信、自分のことをノンポリ[ノンポリシー:原発推進にも反原発にも主張を持たない]と称していた)に、音楽が媒介となって、脱原発の考えを届けたのだ。

事実、当日インターネット中継とともに行われていた「さようなら原発1000万人 アクション」署名」に、数万人の新規の署名が集まっていた。もともと脱原発に興味をもつ層であれば頼まれなくても署名はするが、ノンポリシーな人から多くの署名を集められたことは大きな意義があった。

マスメディアでは取り上げられない”声”が届けられた

当日の映像は全てアーカイブ(保存)されていないため、今からイベントで語られた内容を振り返ることは難しいが、2日間のイベント中は常に視聴者の誰かが情報を発信していたTwitterのつぶやきをたどることで、断片的にイベントを振り返ることができるだろう。イベントを振り返るつぶやきは今も止むことなく続いている。(当日のTwitterのつぶやき

当日紹介された情報のうち、インターネットなどから情報を得られるものをピックアップすると以下のようなものがある。

真実は何か?「自分で考えて」情報を選ぶことが重要なスキルとなる

上記の情報やムービーを見ていただくと、普段テレビで目にする情報とは少し異なる主張を聞くことができる。これは、マスメディアの情報だけを見ていると、考え方や得られる情報が偏るという教訓にほかならない。

筆者もつい先日インターネット上である以下の動画を目にし、自分の中の世界の狭さに反省をした。この動画はドイツの国営放送で制作・放映されたものが、インターネット動画共有サイトで有志のもとで翻訳、公開されているものである。(おそらくドイツの国営放送公認ではないだろう。)

世界から見ても、今の日本の原発事故への対応はあまりにも不信感があるということがこの動画でわかる。海外の人々ですら注目しているフクシマの問題に、当事者である日本人の関心は薄い。国内のマスメディアで得られる情報も少ない。

このNO NUKES 2012で取り上げられた情報と、普段TVや新聞の中から届けられる情報を両方見ていくと、正直、どの情報が正しくてどの情報が曲げられたものであるのか判断がつかなくなるだろう。考えることすら面倒くさくなる。

しかし、そうなった時に思考を止めてしまうと、あとは国やマスメディアなどの大きな流れに身を任せるだけになってしまう。

なにより現在進行形で放射能による被曝は続いているのだ。その放射能汚染が健康に与える影響について、国による暫定的な基準が正しいのか?それとも本当は今すぐ手を打たなければいけない危険な状態であるのか?その判断は手に入る情報の中から自分自身で行なって行かなければいけない時代が来ている。

情報の感度の高い人は、せめて自分の家族には放射能汚染食材による内部被曝を防ごうと、放射性物質への対応を徹底したインターネット上のサイト(安心食材の宅配ならOisix)などから有機野菜を購入する人がどんどん増えている。

東京は福島から離れているから大丈夫。本当にそうだろうか?小さな子どもを抱える親としては、万が一の可能性だとしても、多少のお金で取り除けるリスクであれば取り除きたいのだ。子供は大人より被曝の影響を受けやすい。ましてや女の子であれば、将来の出産のことも考える必要がある。(双葉町長の井戸川町長も福島の子供たちの未来について、特に熱心に語られていた。)

何が正しくて何が間違っているのか、自分自身で考えるときが来たのだ。もしもが起きてからでは取り戻すことはできない。無関心のノンポリと自称する人はNO NUKES 2012で何かを掴んだのか?そもそも日本中のノンボリな人々は事の重大さに気づくことができるのか?

脱原発、経済優先の原発容認、どの方向に国が動くかまだ分からないが、国民一人ひとりが考えて結論を出して欲しい。そう感じたNO NUKES 2012だった。

主催の坂本龍一さんに、このような考える機会を与えて頂いたことを感謝したい。

 

ところで筆者自身がノンポリになっていたので、、、最後に、

筆者自信は今回のイベントを通し、放射能と人間は共存できないのではないか?人間が核を完全に制御するのはやはり難しいのではないか?という疑問が強くなった。理屈や数字ではない。そこに(人為的に造られた)放射能があること自体が怖い、あること自体が嫌なのだ。
(ふと頭に浮かんだのは戦争、核、放射能汚染が人を滅ぼすというメタファを含んだジブリ映画だった。)

色鉛筆と画用紙を渡されて、「あなたの理想の未来を描いてください」と言われたときに、その画用紙に原発を描く人はいないと思う。原子力の先に理想の未来はないのだ。たとえ縮小した経済になってしまったとしても、自然と共存するエネルギーにこそ未来はあるのだと信じたい。

#普段はもっと軽い感じで、メディアで取り扱った新製品の紹介などをしている当ブログですが、今回は思うところもありかなり真剣に執筆しました。いつも見ていただいてるかたは違和感があるかもしれませんが、なにとぞご了承くださいませ!

 



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